9年ぶりにリリースされた新譜は、各地で品切れが続出してるらしい。CD品切れなんて何時ぶりに聞く話だろう?以前からのファンが懐かしさのあまりに殺到したのか、単に供給が少なかっただけなのか。やっぱり、川本真琴世代って「CDを買う」人達なんだよな。確か、音楽を外に持ち歩くのはMDを使ってた時代だったと思う。ケータイはまだ「電話」だったし。
そんなわけで、シングル全集。音源もさることながら、ブックレットが豪華で貴重。と言うかむしろ、音源は仮の姿で、実は写真集なんじゃないか? 黒髪ショートでアコースティックギターを一心不乱に掻き鳴らす元気でキュートな女の子だった頃あり、金髪で真っ赤な衣装に身を包んでレスポールを爆音で弾き倒しいていた頃あり。時系列に並べてみると、髪の色が明るくなるのに比例するかのように良い感じに病んでいく変化が印象的。聴く方からすれば、アーティストが病んでるのは魅力でもあるのだけど、やっぱ本人は辛かったのかもね。
あと、初回特典のブックレットが秀逸。これ、初回限定にするのは勿体なくない? 「Directors Notes」と題して、おそらくはデビュー前から現在まで、かなり近いところから見守ってきたと思われる人物による、一つ一つの曲の解説が。当時の日常とか、岡村ちゃんとのレコーディングの逸話とか、実はあの曲のサビは元々あっちの曲のものだったとか、貴重なエピソードの数々が。読みながら曲を聴き進めるのも一興。うん、スローテンポな「ピカピカ」も案外良さそう。想像してみると楽しい。商業的な要求と、本人の方向性とのギャップと葛藤みたいなことも語られていて、興味深い。
ところで、アルバムには収録されなかった「B面」的な曲、あるいはアルバムでもあまり目立ってなかった曲が意外に良い。より素朴でパーソナル。日頃の喧騒から抜け出して、ちょっと深呼吸して肩の力も抜いてギターなど爪弾きながら歌ってみました的な、程よいリラックス加減が、なんだか最新作へ通じるような印象だなー、なんてふと思った。案外、当時から表現したかったのは、こっちの方だったりするのかも。ボサノバ風の「Octopus Theater」なんて、何とも言えずほんわかして幸せになれます。
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cesare 音楽
肩の力が抜けてリラックスしていて自然体。9年ぶりの新作に身構える必要は全然なかった。良い意味で拍子抜け。相変わらず、ちょっと変で、ちょっとキュート。なんだか、いつもと何も変わらない日常であるかのように「ただいまー」と家に帰ってきたみたい。だから、こう言って迎えてあげたい。「おかえりー」
リラックスしているように思えるのは、歌詞の情報量が減っているところに一因がありそう。かつての芸風だった、早口で畳みかけるような歌い方はされなくなって、のんびりマイペース。切迫して生き急いだところがなくなった分、余裕が出てきたみたい。
あと、「日本の原風景」みたいなものを感じさせる曲がちらほら。祭囃子風アレンジの「へんね」とか、その名も「縄文」なんて曲も。雑誌の対談で語っていたところによると、「縄文感」が感じられるものに惹かれるんだとか。ほとんど完成したアルバムをリリースして良いのかどうか迷ってた時期に出会った岡本太郎の世界にも縄文を感じて、そのあまりの縄文っぷりに吹っ切れたとのこと。ここで言う「縄文」というのは、「用途が分からなくて」「判明しないこと」らしい。そんな「よく分からない」ところを大切にすることで出来上がってきた表現なのかも。身近なところにある、ちょっとしたモノゴトを愛でるような。
とか言いつつ、細けえことはいいんだよw 9年の歳月を経ても変わってないどころか、ますます天然ぶりが研ぎ澄まされてきた川本真琴の世界に没入すべし。歌声も、ことばの選び方も、そして見た目も変わらずキュート。これからもこのまま変わらず、マイペースでいいので永く音楽を続けてほしいな。
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cesare 音楽
封印してたアルバムを9年ぶりに引っ張り出してきた。いや、「封印」は言い過ぎ。何度か聴いたものの、あまりピンと来なくて忘れ去られてた、というのが実情。改めて調べてみたら、リリースされたのは2001年3月のことだったらしい。ほぼ9年前。9年ぶりの再会。なにこれ。キュートで型破りで儚くて格好良い。なんだ。良いじゃん。
ファーストアルバムの印象は、やや不思議ちゃんっぽいオーラを漂わせつつも、ショートヘアがトレードマークの可愛い女の子。でも、言葉の紡ぎ方とか音の選び方とか、端々に尋常じゃない感覚と狂気を垣間見せつつも、そのあたりの才能はちょっと抑制を利かせて後ろに下げ、あくまでも聴きやすくポップにまとめるという路線。今から思えば、ファーストアルバムはデビュー作にして、一つの完成した境地に辿り着いていたのかも知れない。
第二作になると、これらの印象が片っ端から覆された。ビジュアルは金髪のカーリーヘアになって、音楽はテクノロジーで増幅され、後ろに下がっていたはずの狂気は前面に出てきていた。歌詞はますます支離滅裂になって「パンツ丸見え」とか叫んでるし。なにがやりたいんだろう? 残念ながら、当時の僕には解らなかった。解ったのは、前作とは何もかもが変わってしまった、ということだった。
9年ぶりに、忘れかけていたアルバムをもう一度聴いてみようと思ったのは、某動画サイトで目撃したライヴ映像がきっかけだった。サンプリングなどのテクノロジーで飾らない、彼女自身の生の声に心動かされた。こんな曲あったっけ? なんでこの「うた」を見落としてたんだろう? 調べてみたら、9年前に確かに手に入れていたアルバムに収録されているはずの曲だった。一部のクラスターに属する人間にとってはプログレッシヴで実験的な「音楽の革新」を暗示する言葉を冠する13分に及ぶ記録が、過去と現在に橋をかける。9年もの歳月を超える橋の名は「Fragile」。旧世界と繋がるには、あまりにも脆くて危なっかしい名だ。でも、彼女の第二作を表すのに、こんなに適切な名は他には存在しない。
第二作「gobbledygook」で川本真琴という才能が表現したかったこと。それはファーストアルバムで使っていた制限と虚飾を破壊すること。ショートヘアでコケティッシュでポップで可愛い女の子。どういうわけか課せられてしまったイメージを全否定するために、全てを逆にした。髪の色を変えたのも、テクノロジーを導入したのも、過去と決別したかったからではないか。デビュー作で提示した川本真琴像は確かに支持を得たけれども、本人にとっては、本当に表現したかったことは別にあって、それは奥に下げた才能と狂気の、さらに後ろに隠し持っているしかなかった。第二作では、一番後ろに隠す以外に選択を許されなかった、「ほんとうに表現したかったこと」を最前列に出すための方法を得たのではないかと思う。どうにかして。
実現したのは、前作で使っていたフィルターを排した、飾り気のない生の「川本真琴の音楽」。もはや猫を被る必要がなくなった、隠し立てしない狂気と才能を前面に推し出した音楽表現。余計なことを考える必要がなくなって最大限の自由を得たとすれば、何ができるんだろうか? 実現したのは、そんな音楽。実験的で、脆くて、儚くて、果てしなく自由な音楽の世界。
「gobbledygook」がファーストアルバムと決定的に違うのは、彼女が持つ才能との間に、介在する抑制があるかどうか、だと思う。ファーストでは、抑制がかかっていた。たぶん、なにかビジネス的な力学だったんじゃないかと推測する。セカンドでは、それが消えた。彼女にとって幸運なことに、その制約は消えた。彼女にとっては不幸なことに、その制約は消えた。その制約は、制約であると同時に、彼女が持つ、有り余る才能と狂気に一定の指針を与えるものでもあった。指針は、制約と共に消失した。ファーストアルバムを規定していた制約は消え、同時にコインの裏表でもあった「指針」も失われた。自由を得るのと引き換えに、自らを特徴づけていた仮想のステレオタイプを捨てることになった。
そう考えると辻褄が合う。もはや、黒髪ショートヘアの可愛いくてちょっと不思議な女の子ではいられなくなってしまったのだ。後ろに隠し持っていた才能と狂気、それらを表に出す時が来た。そう思ったからこそ、全ての抑制を投げ捨てる必要があったのだ。必要ならば、テクノロジーの手だって借りるし、誰にも理解されないかも知れない「ことば」を前面に出すことも必然となるもの。セカンドアルバムで表現したかったことは、ファーストで後ろに回すことを余儀なくされた才能たちを、一番前に推し出すことだったのだと。
惜しいと思うのは、これが志半ばになってしまったところ。 一部の曲はファーストの頃のイメージを引き継いでいるのだよね。最初に聴いた頃に、これを全否定できなかったのは、まだファーストの頃の面影が残っていたからだと思う。それがなければ、遠慮なく罵倒して、そのまま捨ててしまっていたはず。でも、そうはしなかった。それはファーストの頃のイメージがあって、当時はそれを継続してくれることを期待していて、そして一部の曲は期待に沿っていたから。9年も死蔵していたのは、残りの部分を理解できなかったから。それでも、9年もの間、捨てることもできなかったのは、そこに何かが存在するような気がしたから。その残りの部分を理解するには、9年の歳月を必要とした。
第二作にしてデビュー作よりも荒削りで原始的である理由。それは、ファーストアルバムで一つの境地に達してしまったことと、それが本来望んだものではなかったことに発する反作用なのではないかな。なぜか市民権を得てしまったファーストアルバムの印象を覆して、本来の自分を表現しようとしたら、予想に反して何故かあっさりと実現できることになった。思いがけず得た最大限の自由の中で、自分を表現しようとしたら意外と大変だった、みたいな。広すぎる自由は人を戸惑わせ、迷わせる。抑制が消失することで洗練は失われ、後ろに隠していたプリミティヴな感情、喜びや怒り、悲しみや幸せが、なんのフィルターも介さずに聴き手に届けられる音楽が残った。このアルバムに心動かされるのは、そんな隠し立てしない生の感情に直接触れることができる奇跡を目の当たりにしているからなのだと思う。でも、そんな奇跡は、脆く壊れやすい。掌で受け止める間もなく、儚くも崩れ落ちてしまうほどの「Fragile」な奇跡。
このアルバムで聴けるのは、そんな奇跡だ。9年前の僕には、これを理解することができなかった。9年もの月日を経て、他に山ほどのヒントを得て、やっと、彼女が何を表現したかったのか、少しだけ解った気がする。今まで理解できなくてごめん。やっとあなたの凄さが、少しだけ解った。今は、そんなあなたを少しだけでも理解できたのが嬉しい。そして、9年もの歳月を超えて戻ってきてくれたことが、本当に嬉しい。
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cesare 音楽
川本真琴が帰ってきた。新譜が出るのは9年ぶりなんだとか。YouTubeで新曲が聴けると聞いて見に行ってみた。
見た目は少し変わったかな。大人っぽくなったと言うか。あと、ちょっと痩せたかな。でも、声はまったく変わってない。第一声を聴いた瞬間に、彼女の音楽に出会った頃の記憶が甦ってきた。実は昔にバンドで「Love and Luna」をコピーしてたことがあったのですよ。懐かしい。
新曲を聴いた感じ、デビュー当時の生き急ぐような感じは影を潜めてるような。歳相応に角が取れて丸くなったのか、穏やか且つ落ち着いた印象。音の隙間から狂気が見え隠れするかのような奇才ぶりが魅力でもあったので、9年ぶりだからって遠慮せずに、持てる才能を炸裂させてくれても大丈夫なんだけどな。そこらへんは、もうすぐリリースになるらしいアルバムに期待。
ともあれ、戻ってきてくれて嬉しい。おかえり。
cesare 音楽
Jamiroquai の再来と聞いて、 Mamas Gun のライヴを観に BillboardTokyo まで行ってきた。バンド名の由来は Erykah Badu のアルバムタイトルから取ったという彼ら。見た目はオフィシャルサイト をご覧あれ。おそらくは20代と思われるメンバーに一人だけ、モヒカン眼鏡&髭という出で立ちのおじいちゃんが紛れ込んでいるけど、気にしてはいけないw
音楽性は、UK ソウルの美味しいところをいろいろ突っ込んでごった煮にしてみました的な感じ。Jamiroquai っぽいところもあるけど、あれよりはもうちょっと横ノリ気味かな。ギターはテレキャス&SGでワウかましてるし、キーボードは Rhodes っぽいエレクトリックピアノ風主体で。このあたり流石 UK というところ。ツボを心得てるところが憎い。でも Acid Jazz ほどには洗練されてなくて、どこか泥臭いところも残してるところに、逆に好感が持てます。そしてボトムを支えるのが、切れの良いベース捌きで低音部をグルーヴさせるおじいちゃん。風貌に騙されてはいけない。おじいちゃんすごいよおじいちゃん。
で、ライヴの方はと言うと、とにかく楽しいんだ、これが。アートとか美を主張する感じじゃなく、見に来た人達に楽しんでもらおうという意気込みがこっちまで伝わってくるぐらいで、派手な仕掛けは使わないけど、いろいろ工夫して場を盛り上げていく感じ。やってる方も力一杯楽しそうにしてるので、観てる方も楽しくなってくる。またメンバーがそれぞれ個性豊かで見ていて飽きない。中でも異彩を放っていたのが、我らがおじいちゃんだ。ベースを弾く傍ら、ステップは踏むわ、曲のブレイク部分でポーズは決めるわのサービスぶり。おじいちゃんかわいいよおじいちゃん。
という感じで、音も格好良いし、見た目の演出でも楽しませてくれるライヴでありました。この勢いで夏フェスとかに出演してみても面白いかも。Fuji Rock とか似合うんじゃないだろうか。青空の下で見てみたい気もする。とか思いながら聴いてたらメンバー紹介が。どうやらベースのおじいちゃん、「プロフェッサー」と呼ばれてるらしい。確かに風貌は大学の教授っぽいかも。なんか納得。もっとも、ベース抱えてポーズ決める大学教授がいればの話だが。とか思う間もなく、物凄い勢いでバシバシとスラップベースをキメ始めた。ちょっと待てw、前言撤回。こんなスラップが似合う教授はおらんてw おじいちゃん格好良いよおじいちゃん。
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cesare 音楽
スペイン語はよく知らないのだけど、y は and かな。 Rodrigo と Gabriela 、ギタリスト二人組のユニット。Fuji Rock で目撃した友人曰く「ギター2本だけなのに躍らされまくった」と。これは見に行ってみなきゃなるまい、というわけで急遽チケット取って参戦することに。
開演少し前に会場に入ると、いきなり John McLaughlin が流れてるわけですよ。しかも、インド人と組んでた Shakti の音源。かと思えば、開演直前の曲はメタル系。この時点で普通じゃない。なんか良い意味で嫌な予感がふつふつとw
予感は的中。アコースティックギター2人だけの演奏ながら、普通に弦を弾くだけじゃなくて、あちこち叩いたり、擦ったりと、ありとあらゆる方法で音を鳴らすことでグルーヴが生まれてくる感じ。しかもギターに何やら仕込んでるらしく、ボディを叩くとキック音が鳴る。弦を掻き鳴らしつつ、ボディを叩いて4つ打ちビートを叩き出すという技を一人でやってしまう超絶技巧。
このリズムを繰り出してるのが Gabriela で、対する Rodrigo の方は明らかにメタルとかフュージョン系の技巧派ギタリスト大好きという感じで、時に Al Di Meola みたいにミュートしながら早弾きしてみたり、ワウペダルでジミヘンみたいになったり、アコースティックギターなのにディストーションかまして Metallica の真似してみたり、かと思えば泣きのギターが炸裂したりと七変化する傍若無人ぶり。なんだその節操のなさはw
改めて実感したのが、ギターって打楽器なんだなー、と。叩いてパーカッション代わりになるのは勿論、生の弦のアタック感が半端じゃなく破壊的。あ、ギターの弦って、こんなえげつない音が出るんだった、と。そのえげつなさを、紙一重のところでねじ伏せて、音楽として楽しめるレベルに昇華してしまうところがお見事。しかも踊れるし格好良い。2人だけで物凄いグルーヴを叩き出しておりました。何と言うか、下手なメタルより破壊力あります。ギターという猛獣と格闘してるみたいな感じ。レコーディングされた音源だとこの迫力は伝わらないかも。生で観に行ってみて良かった。
Rodrigo y Gabriela ATO (2009-09-22) 売り上げランキング: 896
cesare 音楽
ここ最近、参加している Google Gropus のいくつかに spam がちらほら来るようになってた。どうやら、グループに参加してメールを投げる→すぐにグループを脱退、という hit & away 戦法らしい。一つ一つのグループへの被弾は散発的ではあるけど、参加してるグループの数が多いと、同じ spam が何度も来るという罠。いい加減、うっとおしくなってきたので対策を探ってみた。
見つけたのが、Google Groups の設定で「新規メンバーの投稿に限って、管理者が承認するまで保留にする」という機能。管理権限を持ってるグループのトップページ右側枠「グループ設定」→「アクセス」タブを選択→ページ内「メッセージの管理」とある項目の「新規メンバーからのメッセージを管理対象とする」にチェックを入れて「変更を保存」してやれば OK 。
これを設定した後は、新規に登録してきた参加者が送ったメールは、直接には配信されなくなる。代わりに、管理者宛に Google からお知らせが来て、配信して良いかどうか確認できるようになる。ここで spam 認定してやれば、該当メールの送信アドレスは spammer として認識されるらしい。まぁ、認定する頃には当の本人はとっくに逃げた後だろうから、どれぐらいダメージがあるのかは分からないけど、少なくとも、一般の参加メンバーにメールが流れなくなるという点では有効かと。同じ spam に悩まされている人がいたら、お試しあれ。
cesare 技術
映像美を観に行く映画。CG だからどうのとか、ストーリーが云々言うのは野暮ってものです。宙に浮かぶ島とか、大地を駆ける獣とか、空飛ぶドラゴンとかの RPG 的な幻想世界を、ハリウッドの資金力にモノを言わせて実現してみました、というアート作品。一部クラスターに所属してる人には、 Roger Dean 風の世界に足を踏み入れて旅するような感じ、と言えばピンとくるだろうか。世界に没入する意味でも、これから行く人はぜひ 3D で観られる劇場をお勧めします。
cesare 日記
寒空の下、村治佳織のコンサートを観に行ってきた。ランプとベンチが置かれたステージは落葉が敷きつめてあるという、12月らしい、美しくもちょっと儚い演出が。なんでも北欧の公園をイメージしたもので、ベンチには老夫婦が腰掛けて来し方を回想しているという設定なのだとか。
コンサートは「Merry Christmas Mr. Lawrence」からスタート。原曲も大好きなのだけど、ギターの音で聴くのも味わいがあって良い。ギターの方が、より枯れた印象。ステージの演出と相俟って、音に奥行きを深めているような感じ。他にも「Tears In Heaven」とか「In My Life」など、近年のスタンダードをギター用にアレンジした曲が多め。枯れた哀感を漂わせながらも、なんだか深いところで灯がともるような、心暖まるコンサートでありました。
村治佳織 ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-10-07) 売り上げランキング: 34938
cesare 読書
年の瀬の恒例になりつつある上原ひろみのライヴを今年も観に行く幸運に恵まれた。会場はサントリーホール。以前に観たのはバンドを引き連れての演奏だったが、今回はピアノソロで。中央にピアノが置かれているだけのステージ。最新作のアルバムカバーと同じ衣装で登場。「I Got Rhythm」でスタート。
クラシック向けのホールでピアノソロとは言いつつも、ひろみちゃんワールドは健在。むしろ、一人だけになって自由な空間が広くなったせいか、水を得た魚のように鍵盤上を縦横無尽に無邪気に奔放に駆け回る姿が圧倒的で、なんだか「凄い」を通り越して「微笑ましい」。迸る情熱は鍵盤の上だけでは飽き足らず、足で床を踏み鳴らしてみたり、歌ってみたり、時には腰を浮かせてピアノと格闘してみたり、肘で弾いてみたり。あるいは、弦を手で押さえてミュートしてみたり、弦をハープみたいに弾いてみたり、弦に置き物をしてハープシコードみたいな音を出してみたり。やりたい放題。
この手の演奏手法はあまり「お行儀がよくない」。かと言って、ダメな演奏かと言うとそうじゃない。本人の頭の中で鳴っている音を表現するのに「ピアノという鍵盤楽器」では足りないから、「弦楽器としてのピアノ」とか「打楽器としての床」までが総動員されるという感じ。
このあたり、プログラマーと言うか、良い意味での「ハッカー」を連想させるものがあるなー、とか思った。真面目な技術者なら「それは禁じ手だろ」というような黒魔術に平気で手を出すようなものか。でも、高度にハックされたコードが芸術と区別できないのと同様、足下の床からピアノの中の弦まで総動員して出来上がった音はなぜか美しかったりする。面倒だからとか、腕が足りてないがゆえに手を抜くために反則技を繰り出すのとはわけが違う。言いたいことを表現するためには、「お行儀良く」という枠の外へ逸脱するのも厭わないが故の「ピアノハック」。
それで何を表現しようとしているかと言うと、例えば「Choux A La Creme」の前置きで本人が語るに「シュークリームを頬張ったときの幸せ感とか、食べ終わってしまったときの切なさ」を表現しようとしたら壮大な一大音絵巻ができあがってしまうあたりが、やっぱりひろみちゃんワールド。でも、いろんな意味でリミッターが外れてる分、底抜けに楽しい。荘厳に始まったはずの「Pachelbel’s Canon」が、いつの間にかスイングしてるような遊び心が最高。コードも音楽も、こういうウィットがないとね。
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cesare 音楽