人間関係をリアルとバーチャルに区別することはできない。
出会う空間はバーチャルになりえるけども、関係はバーチャルになりえない。人物がリアルであれバーチャルであれ、すべての関係はリアルだ。
人間関係をリアルとバーチャルに区別する意味はあるだろうか
区別してません。バーチャルとか幻想です。全てはリアル。
て言うかさ。対立軸はほんとは「リアルとバーチャル」じゃない。一見もっともらしいけど、これは嘘だ。
区別したい人が本当に抱えている問題は「対面だと口八丁が通じるけど、メール越しだと上手く行かない」でしょ?
周りを見渡してみても、メールや Skype 越しのコミュニケーションに不自由していない人は「リアルとバーチャル」なんて気にしてないように思える。「バーチャル」なやりとりに問題があるのは、テキストを介したコミュニケーションが苦手なだけなんじゃない? そこを認めたくないから、あたかも普遍的な問題であるかのように「リアルとバーチャル」なんて対立軸をでっち上げてるんじゃないかな。
トラブル対応終えて、元凶のバグの該当箇所を書いた当の本人に「ここ例外処理入れた方が良くない?」と提案したら「例外処理なんて入れたらコードが汚らしくなるから嫌です!」と拒絶されたことがある僕が通りますよ。いや、作り話じゃなくて実話なんですって、これが。
そんな経験があったりするので、
むしろコードがどれくらいきれいかを気にする人は出来の悪いプログラマーだとぼくは思っているくらいです。コードが気になってしまうと締め切りに間に合わず、ビジネスにならないわけですから。
美しいコードを書こうとするのは悪いプログラマーだ
こう言いたくなるのはよく解る。て言うか正論。
但し、これはせいぜい「出来の悪くないプログラマーは、たとえコードが汚かったとしても最低限ちゃんと動くものを作る」ぐらいの話だよね。ここから「デキるプログラマーのコードは汚い」とか「イケてるプログラマーはコードの美しさになんて頓着しないものなんだ」というような結論は出てこない。論理的に間違ってる。
汚いコードより綺麗な方が良いに決まってるでしょ。でも、汚くてもちゃんと動くコードの方が、見かけは綺麗だけどまともに動いてないコードとか、まだ存在してないコードとかよりも価値がある。それだけの話。